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福岡高等裁判所 昭和28年(う)1961号 判決 1953年10月14日

控訴人 原審弁護人 諌山博

被告人 諸石敬一郎 外五名

弁護人 諌山博

検察官 佐藤麻男

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

弁護人諌山博が述べた控訴趣意は、記録に編綴してある同弁護人提出の控訴趣意書並びに被告人等連名提出の控訴趣意書に記載の通りであるから、ここに之を引用し、右に対し当裁判所は次の様に判断する。

弁護人諌山博の控訴趣意第一点について。

原判決が証拠(殊に原審証人小島久次の証言)により認定したその冐頭摘録の事実によれば、「被告人等は昭和二十七年三月十五日午後六時三十分頃、かねて会社側との間に低賃銀改正等の要求を遶つて争議を続けていた福岡市東中州千日前町所在株式会社国際観光ホテル従業員組合を支援し、右要求貫徹のため、同組合員その他約百名と共に、右ホテル表入口並びに同所キャバレー入口にピケットラインを張りスクラムを組み、労働歌等を高唱して気勢を挙げ、同ホテル内への一般来客を全員協力してこれを押返す等の行為に出でてその立入を完全に阻止し」ていたと言うのであつて、本来労働者の争議行為として合法性を有するいわゆるピケッテイングも、単なる説得或は集団的行為そのものに自ら伴う心理圧迫等の範囲を逸脱して右の如く第三者たる一般来客に対し該ピケット隊員が協力して体当りしこれを押返す等の行為に出でその営業場立入りを阻止する様な暴力行使の事態に立至つては、もはや労働組合法第一条第二項刑法第三十五条による合法性を喪失し、右第三者たる来客に対しては暴行罪、使用者に対しては営業妨害罪を構成する違法な争議行為に顛落するものと解するのが相当であり、従つて原判決には所論の様にピケット権の法理を誤解して正当なピケッテイングを違法とし延いて無罪たるべき被告人等を有罪とした違法はないから、右論旨は理由がない。

同第二点について。

警察官等職務執行法第五条が、その前段において「警察官等は、犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、その予防のため関係者に必要な警告を発」することができる旨を規定し、その後段において「(警察官等は、)もしその行為により人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞があつて、急を要する場合においては、その行為を制止することができる」旨規定していることは所論の通りである。而して右後段において「その行為を制止することができる」と言うのは、その前段において犯罪がまさに行われようとする際口頭その他適宜の通告により関係者を警しめる措置を講ずることができる旨を定めたのに対し、右の様に人の生命身体に対し危険を及ぼし或は財産に対し重大な損害を与える虞がある行為(以下単に虞危険行為と呼ぶことにする)を事実上の行動により抑制し停止することができる旨を定めたものであるが、右にいわゆる抑制乃至停止とはかかる虞危険行為の一部乃至全部をその必要な限度(同法第一条第一項第二項参照)において実力を以て排除することをも包含する趣旨と解するのが相当である。然るに、いま本件ピケッテイングにつき考察するのに、原判決が証拠により認定したその冐頭摘録の事実によれば、前段第一点の論旨に対する判断の中において引用した暴力行使の事態の外尚「他方これを見物しようとする一般群集は附近道路上に蝟集してその数約八百名に達し、為に一般通行を甚だしく阻害するに至つた、よつて福岡市警察局本部勤務警部吉田伍郎は被告人等ピケ隊員に対しその解散を警告したが、これに応じないのみか却つて気勢をあげ剰さえ同ホテルに立入ろうとする一般来客である占領軍兵士との間に抗争を生じ、勢の趨くところ不測の事故が発生するやも計り難い急迫した事態に立至つたため前記警部吉田伍郎は事態容易ならずと考え、警察官等職務執行法第五条の規定に基き、遂に同日午後七時過頃警察隊員約七十名に命じて実力を以て右ピケ解散の措置を採らしめたもの」と言うのであつて、右によれば現に暴行が為されて居り之をそのまま放置するときは勢の趨くところ一般来客(主として占領軍兵士)の少くとも身体に対し危険を及ぼす事故が発生するかも知れない急迫の状態に立至つていたことが明らかであるから、警察官が斯様な状態に在る本件ピケッテイングに対し実力による解散の措置を講じ所論の様にスクラムを引きはなしピケットラインを崩す等の行動を執ることは前説示の実力による虞危険行為の排除としてまさに警察官等職務執行法第五条後段に該当する適法行為と言うべく、従つて本件における警察官のピケット解散の措置を合法的なものと判断した原判決には所論の様な右法条の法意を誤解した違法はないので、右論旨も亦理由がない。

被告人等の控訴趣意第一点について。

既に弁護人諌山博の控訴趣意に対する判断の中において説示した通り、本件ピケッテイングはその第三者たる一般来客に対する暴行行為により合法性を喪失して違法な争議行為に顛落し、又かかるピケッテイングを実力により解散させようとした警察官の行為は警察官等職務執行法第五条後段に該当する適法なものであると認められ、原判決挙示の各証拠その他記録全般につき調査しても、未だ所論の様に原判示の警部吉田伍郎が何等正当な事由がなく法を無視して右解散の措置を採つたものとは認め難い。而して、本件の争議が本来世論の支持を得た正当なものであり又一般的にピケッテイングそのものが合法視せらるべきこと所論の通りであるとしても、何等上記の判断に変更を来すものではないから、右論旨は理由がない。

同第二点について。

本件における警察官のピケット解散の措置が合法であることは前説示の通りであり、所論の様に警察官等においてアメリカ人を煽動してピケ隊との間に抗争を生ぜしめるに至つた事実を肯認させるに足る十分な証拠は存在しないから、右論旨も亦理由がない。

同第三点について。

記録につき精査しても、所論の様に本件における警察官の措置が計画的に仕組まれた不法な政治的彈圧であり被告人等の本件所為が右不法彈圧に対する正当防衛行為であるとは認め難いので、右論旨も亦理由がない。

尚右に判断した以外の所論は、証拠に関する独自の見解に立脚して原判決の事実認定を非議し、或は記録に現われていない事実や事件と関係のない事項を縷々主張するに過ぎないから、何れもこれを採用し難い。

以上の様に本件控訴趣意はすべてその理由がないから、刑事訴訟法第三百九十六条に則り本件各控訴を棄却することとして、主文の様に判決する。

(裁判長裁判官 谷本寛 裁判官 藤井亮 裁判官 吉田信孝)

弁護人諌山博の控訴趣意

第一点原判決はピケット権の法理を誤解し、正当なピケッテイングを違法とし、無罪たるべき被告人等を有罪にしている。原判決は、被告人並びに弁護人等の主張に対する判断のなかで、ビケッテイングは会社の営業を妨害することはできても、第三者(観客)の権利を侵害してはならないと説き、この理論の上にたつて国際ホテル前のビケッテイングを違法だと断定している。しかしこれはピケッテイングにたいする無理解からきた誤解である。ピケッテイングには種々の形態があるが、そのなかに使用者を商品市場から閉め出そうとするボイコットのためのピケッテイングがある。この場合のピケット権は、スキップに対するピケのように広範囲な合法性は確保されないとしても、市民的な自由権としての言論の説得を或る程度超えることのあるのは当然である。このようなピケッテイングは暴力の行使にならないかぎり、即ち多少荒々しい言葉づかいがなされたり、多衆で気勢をあげることがあつたとしても、労組法第一条第二項で合法性を保障されねばならない。原判決はこのことを完全に誤解し、来客に対するピケッテイングは、市民的な言論の自由の、範囲を少しでも超えてはいけないという立場をとり、本件ピケッテイングを違法としている。本件ピケットには、合法性を失うような行為は少しもなかつたのに、原判決はピケを解散さした警察官の処置を是認し、被告人らを有罪にしているので、原判決は破棄さるべきである。

第二点原判決は、警察官等職務執行法第五条の法意を誤解している。右条は「犯罪の予防及び制止」(有斐閣六法全書の見出し)を規定したもので、特定の場合に警察官に「犯罪の予防のため関係者に必要な警告を発し」又は、「その行為を制止」する権限を与えているけれども、犯罪行為を鎮圧したり犯罪者を逮捕する権限を与えているものではない。ここで問題になるのは、「犯罪行為の制止」という言葉のなかに、実力による解散強行という意味が含まれるかということである。制止という語を文字通り読むと制限し停止することであるから、引き止めることはできても、スクラムを組んでいるものを引きはなしたり、列から押し出したりすることまでは含まれない。即ち警察官等職務執行法第五条には、違法なピケであつてもこれを実力で切崩す権限は認められていない。さらにまた、制止できるのは、「その行為により人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞があつて急を用する場合」にかぎる。原判決が被告人らの主張に対する判断のなかで認定しているような「営業妨害になるから」或は「道路交通妨害になるから」ということで実力行使をすることはできない。何れにしても警察官が警察官等職務執行法第五条によつてピケ隊を解散さした行為を合法としたのは、法令解釈の誤りであり、この誤りは、ひいては無罪たるべき被告人を有罪にするという結果を産んでいるので原判決は破棄さるべきである。

被告人岡誠外六名の控訴趣意

われわれは原判決(懲役二ケ月、執行猶予一年)に全く不服であり、控訴を申立てる。

まず第一に、明らかにしなければならないことは、当日国際ホテル前に張られたピケットラインは、国際ホテル労組の正当な争議行為としてとられた戦術であり、労働者の正当な権利の行使であつたことである。この点に関しては判決文にも、法廷での検事側証言にも、争議の正当性を疑うべき何らの証拠は示されていない。不当な搾取にあえぐ国際ホテル労働者の要求に反対する者は、山田直太を除いては一人もいなかつたと断言し得る程、当時の世論の支持を得た闘争であつた。さらにピケットラインは、その争議の一手段として、建物を追われた労組のとり上げた戦術であり、この合法性も疑問の余地は全くない。従つて、事件の本質を客観的に見、その発端を追及するならば、単純に考えても、武装警官隊の争議に対する無理解と徒らなる実力の行使にあることは、誰の眼にも明かである。

判決文に引用された吉田伍郎の証言によると、彼は「営業妨害になるから解散させた」とほざいている。法を守り、人権を擁護すべき筈の警官、しかもその隊長が、憲法も労組法も全く知らず、労働運動に干渉し、棍棒をふりまわしたその事実の中にこそ事件の直接の原因が見出されなければならない。労働者は、団結以外に闘う武器をもたない。そして争議は一人一人では弱い労働者が、組合を組織し、団結した力で自らの要求を貫徹させようとするところに起るのである。従つて、経営者に打撃を与えることなしに争議はありえない。争議は本来、営業を妨害するものである。しかもホテル従業員の如き、直接生産を行わない労働者の争議において、ピケットラインなる戦術がとられるのは極めて当然であり、古来東西をとわずその例は極めて多い。まず、ピケットラインの何ものたるかを知らず、争議中であることを無視した吉田伍郎の処置は、明らかに誤り以上のものを含んでいる、これは、警官に対しては寛容な裁判官のいう「いささか妥当を欠くきらい」どころではなく、全く誰の眼にも明らかな職権濫用、暴行、傷害の組織的犯罪行為である。以上の点が明かになるならば、この事件で裁かれるべきものがとり違えられていることに気付かれるに相違ない。

第二に、「暴力を伴うピケは違法なり」との断定に反論する。第一の点で明らかな如く、誤つた処置により、組織的な暴力がピケ隊に襲いかかつたこの時、労働者は自由と人権を守り、労組の正当な要求を貫徹させるために如何にすべきであろうか法の守護者たるべき裁判官にまず質問したい。われわれは自由と人権を愛する。憲法をふみにじり人権をジューリンする輩に対しては何びとに対しても固い団結の力をもつて暴挙を阻止する、それが最も人間として必要なことであり、勇気を要しても実践すべきことであると確信している。理由も明かにせず、棍棒をもつて襲いかかる暴徒に対しては、たとい官服をまとつた警官であろうと、スクラムを以てはねかえすのがピケットラインの鉄則である。「とても聞きとれなかつただろう」と自らもいつている彼らの解散理由とは何か、「営業妨害」だという、ところが奇怪なことには、警察、検察庁で三回にわたつて罪名が変化した。営業妨害、交通妨害、公務執行妨害がそれである。しかも、その営業妨害は「第三者がホテルに入ろうとしたのを阻止したから」という。第三者とは何であつたか。当時におけるそれは、酒気を帯びたアメリカ人であつた。労働運動に不当な干渉を加える意図が全くないならば、当然予想さるべき混乱を事前に防止する第一の処置はアメリカ人を説得して帰らせることである。ピケ隊はそれを行つた。ところが警官隊は逆に帰りかけたアメリカ人を煽動し、それによつて生じた押し合いをピケ隊の責任に帰し、棍棒の雨を降らせた。明かに暴力を使つたのは警官隊であり、ピケットラインは彼らの暴力によつて破られた。この事実は絶対に明かにせねばならぬ第二点である。「実力による解散措置」なる美名は、明かに労働運動に不当な干渉を加え、法をジューリンした暴力団に等しい警官隊に使用を許されるであろうか。第三に、種々の客観的な事実を綜合すれば明かなように、本事件の本質は、全く計画的にしくまれた政治的彈圧である。三月一五日は、戦前日本帝国主義が、軍国主義的アジヤ侵略の野望を遂行するための下準備として、日本共産党に対する大彈圧を行つた日であり、進歩的政党、労組、民主団体に対する彈圧と迫害が相いついで始まつた。以来、三月一五日は、共産党を中心とする進歩勢力のフアシズムに対する闘争の結集点として、記念集会、デモ等が年々行われ、これに対して、軍国主義的権力の手先、軍隊、警察は常に非常体制をとり、計画的挑撥と復シュー的彈圧を行つて来たのである。国際ホテル労組争議の当日、及びその前後は、政府のフアッショ的国民彈圧法律「破カイ活動防止法」に対する全労働者階級、全国民の憤激をまき起し、第二次、第三次のゼネストに立上ろうとしていた最中にあつた。政府の意図は、この彈圧法律の施行をシャニムニ強行することによつて、売国的サンフランシスコ単独講和条約に祖国と日本国民をしばりつけることにあつた。従つて政府はこのような意図に対する全国民の闘争を抑圧する「破妨法」を成立せしめようとして、その口実を得、実績を上げるために、官憲を使用してあらゆる労組、団体にスパイを送り込み、意識的に挑溌と彈圧を計画していたのである。このような政治的背景の中で起つた三月一五日の事件は、明かに以上のような政府の意図を帯した警察の手によつて行われた政治的彈圧がその本質であると断定し得る。以上の論点をウラヅけるものとして、当日警察側が行つた計画的行動の事実は 一、当日市内に非常警戒体制が事前にとられていたこと。二、同日に、松川事件に比すべき住吉派出所爆破事件なるものをデッチ上げ、全然無関係の党員江藤徹をタイホし、あたかも、当日、共産党員が、各地に於いて暴力行動を開始したかのように見せかけたこと。三、当日市記念館で、国際ホテル労組主催で行われようとしていた文化祭を、市警察官荒木その他の干渉と妨害によつて中止させた。その際、市警荒木は、この集会を禁止する理由として「ウイロビー書簡による」ということをいつていること。ところが、労組側の会場交渉の際、当日までは市の社会課は会場使用を許可していたにも拘らず、市警荒木は、労組執行委員長鬼木氏に対し、「今日は三月一五日であり、共産党の記念日であり、共産党に便乗される危険性があるから止めろ、若しやるなら警察として考えがある」という意味のことをいつて脅迫しており、同様の圧力を市の社会課に対しても行つていた、当日、労組員と文化祭の観客が会場に入ろうとするとき、あらかじめ市の社会課を通じて会場の管理者に「市警の音楽演奏会に貸しているから」という理由で、会場の使用を拒否せしめておき、その場に市警荒木其他がのりこみ、「管理者が貸さないというのに、無理に入ろうとすれば、不法侵入でタイホする」ということをいつたこと。四、その後で労組員と共に、国際ホテル労組のスト応援に参加して集まつたとき、被告の上衣の背中に、何者かの手によつて、チョークで○印がかかれていた。これはタイホされた被告が市警本局に連行された時に発見したものであり、明かにスト参加者の中に挑溌者が送りこまれていたと断定し得ることであり、しかも、タイホされた被告は全部共産党員であり、党及び大団体の積極的活動家ばかりであつたことは、当時の労働者の破妨法反対の闘争が、メーデーを目標として高まり、労組だけでなく、民主団体、市民、インテリゲンチャ、進歩的教授、知識人、文化人をもまきこみつつあつた勢に怖れ、この闘争の中で、先進的役割を果している活動家のひきぬきによつて、その勢を削ぐことを目的としたものであること。五、市警本局の監房では、前日から、「明日は共産党員が多数はいつて来る」ということで毛布の増員がなされていたこと。以上を挙げることが出来る。このように、本事件は、国民の基本的権利と、労働組合活動の自由と生活権を守る闘いに対する、アメリカの番犬となり下がつた吉田売国政府とその手先警察のフアッショ的彈圧としてしくまれたインボーである。従つて、本事件に対する原判決は、公務執行妨害を理由としているが、公務の執行自身がすでに、正当な労働争議に対する、警察の侵害行為であつた点をボヤかし、米兵の妨害とスト破りを庇護し、むしろそれをそそのかし、反対に、これを来客とみなし、悪質なボスであり、且つ労働者に非人道的な待遇を与えていた社長山田直太が代表する会社側を擁護する立場に立つていた点について見逃がし、米日反動のアジヤ侵略の後方慰安地としての同ホテルの植民地的性格と、その職場における、反日本人的な搾取とドレイ的待遇が、アメリカ帝国主義者の日本民族に対する、抑圧と悔辱の政策のあらわれであつた点について全くホホカムリをしている所に、原判決の、重大な反民族的、反労働者的、反国民的あやまりと、アメリカの対日植民地化政策の前に、日本の裁判所の自主性を屈せしめた卑屈さがあらわれていると信ずる。従つて、警官隊が公務を執行するに足る客観的情勢と、公務執行の必要性が全くなかつたことは勿論、意識的な政治的インボーの下になされた公務執行、すなわち彈圧に対して、われわれが行つたと称する「暴行」とは、正当防衛の行為であつて、原判決のように、この暴行を理由として組立てられた理論は、全く根柢のないものである。上記の陳述により、われわれは、原判決に不服であり、控訴を申したて、且つあくまでも無罪を主張するものである又、今までの陳述によつて明かなように、当時、日本をアジヤ侵略の後方基地として利用していたアメリカ帝国主義は、世界の平和勢力の発展と日本国内に於ける、米軍基地とりのけ闘争、基地労働者の米帝と真向から対立する鋭い闘争、全労働者、農民、全国民の平和を守る実力の闘争に一歩後退し、朝鮮休戦を受諾した。このことは、世界の平和勢力が冷戦を緩和の方向に追い込んだことを意味する。この結果、世界支配の野望と、戦争による最大限の利潤追及の政策を捨てていないアメリカ帝国主義者は、日本を後方基地から最前線基地にすることによつて、アジヤ侵略の突破口とし、動かすべからざる強大な勢力となつた世界平和陣営の前に、腐敗し崩カイしつつある自己の地位を挽回しようと、必死になつてアガいているのである。このような政治情勢の中で公開されるであろう本事件第二審の公判の意義は誠に重大である。従つて裁判長が本事件被告に対して決定する、有罪か或は無罪かの判決は、裁判長、裁判所、すなわち日本の司法権が、アメリカ帝国主義に屈服するか否かの去就を決定する分れ道となるであろう。ねがわくば、賢明なる高等裁判所の判事諸侯が、本件について直ちに無罪の宣告をされ、政令三二五号事件について最高裁判所が出した公正なる判決のように、断固として、日本国憲法にうたわれた司法権の独立の権威を堅持されんことを要求するものである。

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